告知2007/05/16

E病院から帰って実家に行き、話を説明しようと、T先生が書いた説明の用紙を広げた。

2つの病院の様子とそれぞれの先生が言ったことを伝える。

C病院の件はあえて言わなかった。
2つの病院を回って、C病院でなくてもいいと判断したからだ。

「なに、これ?」
あーちゃんが、生存曲線と重なって書いてある直線を指して聞く。
移植しなかった場合の生存率の線だ。
「移植しなかったら、こうなるの?」

先生によっても多少違うので、D病院で3月末にN先生から言われたことを伝える。

「これが一番良いという治療法があるなら、迷わず選択するけど、どれをとってもつらいから。
無責任なようだけど、あーちゃんの好きにしていいよ。」

あーちゃんは、ちょっと黙った後、
「うん、わかった。好きにさせてもらう。
...はっきりしてよかったわ。」

「移植はするけど、D病院ではやらない。」
どっちにするかは考えておく、とのことだった。

6月中に仕事を引き継ぐ事と親友のHさんと温泉に行く、この2つはやりたいそうだ。

T先生2007/05/16

E病院へ行くと、すぐに応接室のようなところに通された。
就職の面接とか、校長室に通された時のような緊張感だ。

「まず、なぜこちらにいらしたかをお聞かせ願えますか?」
T先生の最初の言葉だ。
(やっぱり面接みたい)

あーちゃんが治療の選択にあたって移植と言い出したこと、
移植と言わなければD病院に全て任せるつもりだったが、
D病院では高齢者の移植例が少ないので、こちらで話を聞きたいと思ったことを話す。

病気の状況と生存率等については、若干数字が前後するものの、今までの諸先生方のお話とほとんど変わらなかった。
どこかで見たようなグラフがまた描かれる。

臍帯血で、もし拒絶されたらと聞くと、また別の臍帯血でやればいいじゃないですか、とゆったりと話される。

ただ、「移植するなら、あとは時期ですね」と言われる。

「すぐ移植をするよりも、ご本人(あーちゃん)が望んだ時にしてあげた方がよいのではないですか?

ご本人もやりたいことがあるでしょう?
例えば、お孫さんと過ごしたりとか、家族で温泉に行ったりとか。」
と教え諭すような口調で話される。

「温泉?いいんですか?」
「私はいいと思いますよ」

移植はいつでもできるが、急いで移植をして残念な結果になった時、もっとあれをやらせてあげれば良かった、これをやらせてあげれば良かったと思ったことがあったそうだ。

移植をするなら、病気が進行してしまう前に、あーちゃんの体力がある内に、
「とにかく急がなければ」と思っていたので、この先生の言葉に目が覚めたような気がした。

「急性白血病になってからでは、移植が大変になるのではないですか?」

確かに発病しないときと比べると大変だが、やることはできると言う。

Rセンターで聞いた母子間での移植についても聞いてみると、T先生は薦めないとのことだった。

「もし本人が望んだら、こちらで診ていただくことは可能でしょうか?」

大丈夫だが、しばらくは外来で状態を見ていくことになる、夏頃に暑い時期を病院に涼みにくるような感覚で入院したらどうかと言われた。

HLA検査の結果2007/05/15

Rセンターから帰ると、N先生からメールがきた。
HLA検査の結果が出たので、セカンド・オピニオンで聞けるように、知らせてくれたのだ。
予想外に早く回答が出たことにびっくりする。

結局、兄弟とは一致しなかった。
また、骨髄バンクにも完全一致はない。
臍帯血バンクでは、完全一致が一つ、2座不一致が複数見つかった。

あーちゃんに検査の結果を知らせると、ほっとしていた。
兄弟に負担をかけず、臍帯血での移植の可能性が残されていることが、よかったらしい。

M先生2007/05/15

「入院したら、まずはリハビリです。」
RセンターのM先生のこの言葉は非常に印象的だった。

この先生は結果を出す事を常に念頭に置いて行動されている方だなぁと思った。

Rセンターは、高齢者専門の病院だそうだが、診察室前で待っている人達には、まだ50歳そこそこくらいの人達もいる。
姉妹のようなので、私と同じように家族のセカンド・オピニオンに来ているのかもしれない。

セカンド・オピニオンと言って予約をとったが、普通に診察を待つスタイルだ。
今日来るに当たっては、「セカンドオピニオン・ネットワーク公式サイト」から、「ガンのセカンドオピニオンを上手にとるコツ」を見て質問事項をリストアップしておいた。

約1時間待った後、名前を呼ばれる。

M先生は紹介状を見て、
・MDSでもRAEB2なので、既に白血病に近い
・染色体に異常がある
・既に輸血に依存している→心不全・糖尿病・肝不全になる恐れがあること、
治療には高齢者向けに「ミニ移植」を行うが、確立している医療ではないためリスクを伴うこと、
経験がものをいう世界であることを説明された。

・M先生は、あーちゃんに移植を薦めるか?
 → 生きるのであれば、「移植」しかない

・移植以外で一番あーちゃんが楽な方法は?
 → 輸血(支持療法)

・今のあーちゃんの状況で移植は可能か?
 → 患者を見ていないので何とも言えないが、1日の内、昼間座っててもよいので半分くらい起きていられればよい。

・このまま輸血を続けてどのくらい在宅で居られるか?
 → 今は調子が良いかもしれないが、急にガクッと落ちる。夏を越せるかどうか。


ここから、生存率云々という話になるので、苦手な方は読むのを止めたほうがよいかもしれません。


M先生はグラフを描き、骨髄移植の場合、
・処置の副作用
・感染症
・GVHD
・再発
により、100日以内に約20%が命を落とす。

その後、
・再発
・GVHD
・感染症
の危険などがあり、2年生存率は約40%だそうだ。

HLAが一致した提供者がいるかどうかがポイントだが、
もし一致しない場合、あーちゃんと子供の間での移植(つまり母子間での移植)という手があるそうだ。
これは母親だけしかできない。

「不思議なもので、関西では母子間移植、関東では臍帯血移植というふうに分かれているんですよ」

M先生は70歳の方の母子間移植をやったことがあり、皮膚にGVHDがあるものの、その方は今も生存していらっしゃるそうだ。

HLAが一致しなかったら、臍帯血がダメだったらと不安だったが、新しい可能性を教えられてちょっと希望を持つ。

あーちゃん本人には、予後のことをはっきり告知していないと言うと、
「本人には全部言わなくちゃダメだ!
でないと、何でこんなに苦しい思いをしなければならないのかと思うようになる。」
とはっきり言われた。

はっきり言うとガックリ気落ちしてしまうんじゃないかと不安だったが、この言葉を聞いてやはり言おうと思い直す。

社交辞令2007/05/02

朝、C病院へ電話をし、K先生につないでもらう。

「はい。」(K先生)
「おはようございます。○○ですが、今お時間よろしいでしょうか?」(ねこの手)

「○○さん?」(最後に会ったの3月だから覚えていないかな?)
「患者番号申し上げましょうか?」

「今、カルテ手元にないから...」
「2月の終わりにB病院から紹介されて、受診したのですが」

「B病院、あぁ」(思い出されたかな?)

「その節はお世話になりました。
実は、母が移植を受けたいと言い出しまして、
今の病院だと高齢者の移植件数が少ないようなので、
もしC病院でお願いできたらと思いまして、先生にご相談に上がりたいのですが...」

「件数が少ない?そんな理由で転院するの?
 迷惑なんだよ。△△先生(E先生の隣の診察室の先生の名前)とは同志なんだ。」

「はぁ?」(なんでこんなに怒られるんだ?失礼なこと言ったかな?病院の先生の同志って???)

「勝手に診ることはできないんだよ?」
「それはもちろんわかっています。」

「転院させてくれんのかなぁ。今どういう状態ですか?」
「4月9日に退院しまして、2週間に一回外来で通院してます。」

「資料とかちゃんとくれるのかなぁ...ブツブツ
とりあえず、セカンド・オピニオンということで紹介状をもらって、予約を取ってください。
早くて5/11ですね。」

「わかりました。お忙しいところ、どうもありがとうございました。」


ネット上の闘病記録などで、転院元の先生とのトラブルなどは読んだことはあるが、
まさか転院希望先の先生から怒られるとは想像もしていなかったので、頭がショック状態である。

「移植件数が少ない」のが「そんな理由」?
あーちゃんはただでさえ高齢なんだから、病院の移植件数が少ないだけで不安なのはおかしいのか?
移植中にあーちゃんの状態が悪くなったときに、経験があるほうが適切に対処してくれるだろうと思うのは間違いなのか?
最低限、減らせるリスクはできるだけ減らしてあげたいという気持ちはいけないのか?

迷惑なら、最初から「移植するならいらっしゃい」と安易に言わなきゃいいじゃないか。

かかっているのは、「命」である。
望みがあるなら、何にでもすがりたいのである。


この時のことは、今でもあーちゃんには言っていない。
でも「C病院」の「C」も言わなくなったので、薄々は何かあったと勘付いているだろう。


あまりに心証が良くなかったのと良い結果は期待できそうもないと判断し、C病院は一番後回しにする。
先にRセンターとE病院に行ってみることにする。

このブログで記述している内容は、あーちゃんの症状・状態によるものです。
患者さんや担当医師によっては、異なる場合があると思われますので、
ご注意ください。